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人間と性 ” 教育研究所 古典講座
高柳美知子が語る源氏物語
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“ 源氏物語 ” 千年紀によせて ー
2008年は”源氏物語”千年紀の年に当たります。千年紀が終わろうとしている今、高柳美知子が”源氏”への想いをあつく語ります。
“源氏”に想いを寄せる人も、”源氏
” ってそんなにすごいの ? ”と思う人も、ご一緒に聞き、語り合いませんか。多数のご参加をお待ちしております。
日時 2008年12月13日
(
土
)
午後2時〜4時
場所 ラパスホール 地下会議室
( 地図参照 )
内容 講座
“ 源氏物語とわたし ”
講師 高柳美知子
(“ 人間と性 ” 教育研究所所長 )
参加費
\
500
(
資料代
)
|
【お問い合わせ先】
“
人間と性 ” 教育研究所
п^
FAX 03−3945−0793
e-Mail
info@seikyoken.org
講座担当 岩淵成子 п^
FAX 044−854−0818
高柳美知子が語る源氏物語
ー
“ 源氏物語 ” 千年紀によせて ー
日時 '08年12月13日
(
土 )
午後2時〜4時
場所 ラパスホール 地下会議室
内容 講座
“ 源氏物語とわたし ”
講師 高柳美知子
(“ 人間と性 ”
教育研究所所長 )
参加費
\ 500 ( 資料代 )
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人間と性教育研究所主催
『イラスト版10歳からの性教育』発刊記念
学習
&
出逢いのつどい 報告
T部 思春期SOS
〜 両親だけじゃない、あなたも子どものサポーター 〜
10月18日(土)大塚「ラパスホール」にて行われた学習会の第一部は、H市公立中学校で特別支援教育スタッフとして、思春期の子どもたちと接している、教育カウンセラー・当研究所所員佐藤晴世さんの講演でした。
講師佐藤さんは、3人の息子さんの子育て経験に加え、日々触れる現代の中学生の悩みや葛藤に暖かく接し、また、研究所のホームページを通じて、思春期相談にも丁寧な回答を送っている実践者らしい心ある報告を
(挨拶をする所長と報告者の佐藤さん)
して、参加者に大きな共感を与えました。
最初の内は、自分のことを「うぜえ、うるさいおばさん」と冷ややか目で見ていた子どもたちがいた。でも、めげずに語りかける。
教室には入れない子どもたちと共に計算の競争をしていると、負けることがあった。(佐藤氏の演技かも?)子どもたちの反応「先生って、馬鹿じゃん。俺より馬鹿じゃん。だのにこうやって一応俺たちに指導する大人になってる」なんて言い出す。
そのうち会話が生まれる。「学校って案外おもしろいね」「生きているっていいんだね」などなかなか哲学的な発言もとびだしているようだ。
佐藤さんの姿勢は、登校刺激をしないことだと言う。時折授業にも出て支援することがあるが、授業についていけない子どもたちが妙に静かであることに驚かされる。彼らが、わからなくても「わからない」と発言できない状況の中で生活していることに胸が痛む。
自分が子育てで悩んだり苦しんだりしたことを思い出したり、自分もあまりできの良くない子どもだったことを話したりして、きりきりしないでゆとりある接し方を心がけている。
不登校の子どもの三分の二は思春期の子どもたち、彼らの複雑な心の内に入っていくのは難しいが、周囲の大人たちがあなた達を支えているんだという安心感を与えてあげたい。犯罪擁護はしないが、追いつめられた子どもたちが、犯罪に走るのは、社会のひずみにも起因するのではないかと思っている。
自分の力は弱いけれど、いつもそばにいて、心許せる存在でありたい。
息子に、性に関しての質問は父親にしなさいと言ったら「お母さんに聞いた方がいい。色々な例を知っているから。だってあそこ(書棚)にいっぱい書いてあるもん」といったそうだ。大した息子さんですね。そして、大したお母さん(佐藤氏)ですね。
大阪から参加した現職教員Kさんは「教員の側からしか見えていない子どもの姿をカウンセラーの立場から知ることが出来た。すぐに生かしていきたいと必死でメモを取りました」と。
5人のお孫さんを持つUさんは「かつて息子に、僕はお母さんから生まれたのにどうしてお父さんに似ているのと聞かれて、お父さんのおちんちんとお母さんのおちょんちょんとくっつけて、鶏が卵を持っていると同じようにお母さんにも卵があって、そこにお父さんが白い薬をくっつけたんだよと答えたことがあります」と発言され、会場に暖かい笑いが起きました。「息子がセックスの図を持っていたので あんたたちこんな本読んでいるのと聞いたら、うん、みんなで回し読みしているよと答が返ってきました」と。
こんな風に日常的に性の話が出来ていると、いじめにあった時も親に言ってくれるようになったそうです。佐藤さんの講演内容には、性に関する話はあまり出て来ませんでしたが、「10才からの性教育発刊記念」ということもあり、子どもたちがセックスしなくてもすむ環境作りをとか、48時間以内の緊急避妊方法などの話題も出て、学校の教員の役割も説かれました。
U部
音楽と出逢いのつどい
プ ロ グ ラ ム
● 一弦琴(ステラレゴミデス) 演奏 中村昭三
● 歌と朗読 青木 清 高柳美知子
● 参加者合唱 リード 青木 清
● 私の思春期 参加者のフリートーク
中村さんのステラレゴミデスの演奏 『鳥の歌』『望郷のバラード』
壊れたモップの柄とプラスチックのコップから、なぜ哀愁を帯びた素晴らしい音色が流れ出るのか、不思議としか言いようがないひとときでした。
青木さんの独唱と高柳所長の朗読 『夜のプラットホーム』
「私の思春期」で、同様の体験をされた方の発言がありました。歌が先か詩が先かは分かりませんが、実体験を持つ者がいるからこその、胸にしみる歌詞と詩になっているのでしょう。
「私の思春期」は、発言者が次の発言者を指名する形をとり、順に回るのとは違うスリルをともなった、思いがけない出逢いを作りました。
「私の思春期」発言より
それぞれの年代をふまえた内容の濃い発言が続きました。時間が足りず、半数の参加者は一言発言に終わったのが残念でした。互いはこの場が初対面の参加者も多かったのですが、最初の発言者が率直に話を出したこともあり、次々と初めて耳にする発言が続き、新しい出逢いの場としては成功に終わりました。発言からいくつかお伝えします。
@ 名古屋で思春期を過ごした。名古屋の女は「トヨタの嫁」になることが目標の時代だったが、担任の薦めで進学した。担任には感謝している。
A プラットホームでの別れを体験している。当時は 「すきでも手を握ってもいけない」という時代だったから、ハンカチごしのキスくらいしかできなかった。
'45/1.19歳で招集され、ソ連国境に送られた。−30℃だった。3月には南方に送られたので助かったが。国境最前線にも「慰安所」があった。「明日死ぬよ。今夜かわいがってあげる。夜遅くおいで」と言われたが、出口に下士官が番をしていて出られず、南方に送られたので、慰安所の話はボツになった。僕と同様で兵隊の1/3は慰安婦の経験はない。
B 地方の過疎地での思春期は暗かった。家が重荷だった。大家族でのもめ事が嫌で、短大入学で上京した。親や家との葛藤が印象に残っている。
C 国民学校で入学し、小学校で卒業した世代。戦時中は大変の一人だったが、職場結婚後は平凡な生活をしている。孫に『イラスト版10歳から・・・』をプレゼントした。
D 高校時代は、気象部、テニス部などの部活で明け暮れた。自転車で彼女と荒川土手をデイトしたが、手も握らない状況だった。アコーディオンを弾いて歌うこともした。学校中にビラを貼り、教師の監視下で集会をした想い出もある。
E 高校時代は文通が流行っていた。文通相手を新聞で見つけ、大学に入って文通を再開するなど、自分を高めてくれた人となった。身近な人を選ぶことになり、文通だけの人を選ぶことはなかったが、文学的には上の人だったので、今でも手紙はとってある。
F 離婚したが、娘と同姓を希望したので旧姓には戻らなかった。娘が反抗期の時、どう対応して良いか分からず、母親の言うとおりに動いていて、反抗期がなかった自分は特別だったのだと知った。
G 大家族のなかで育ち、小学校入学以来家事の手伝いをし、反抗している余裕さえなかった。女性蔑視の明治男の父を見て、男は怖いというイメージを持ち、いまだに未婚のまま。
H 中学時代は、ウブだったが性的興味はあった。異性に触れたい気もあったし、友達の身体にも関心があり、自分とはタイプの違う友達同士で身体のさわりっこをした。抱き合えば赤ちゃんができると誤解もしていた。性教育があれば良かったと思う。
I 『冬ソナ』にハマって、研究所に関わるようになった。色々あったが、今が青春かなと思って楽しんでいる。
J 国民学校卒業の世代。集団疎開の体験もある。小学校3、4年生頃に淋病が子どもに流行ったことを覚えている。
K NHKのオーディションを受けたこともある。歌手や、新劇俳優などの経験がある。恋もして、3回結婚した。子どもの頃には、朝鮮人として差別されたこともある。様々な体験を正直に本に書きたいと思っている。所長と相談してぜひ書きたい。
L 日本文学研究のため、留学中。結婚、子育ては今後。皆さんの意見を参考にしたい。
M 静岡県から駆けつけた。所長とは17年前からのつきあい。高校休学、中退したが、大学は卒業した。休学中は本を読んで過ごした。大学卒業後英語を勉強し、英和辞典を全部暗記するほどになった。
N 高学歴ワーキングプアの一人。今の大学教育は、
40%の非常勤講師が支えている。現在の若者の環境を、研究者として教育者として取り組んでいきたい。
O 高校教師。再雇用されフルタイムで勤務している。自分の思春期を振り返ると、自由に悩めたことは幸せだった。自由な悩みさえも奪われている今の子どもたちは、本当にかわいそうだと思う。30年前から30人学級を言い続けてきた。分かっていたのにやってこなかったツケが今出ていると思う。問題の根源に目を向けず、現象に対処しているだけの教育行政に怒りを感じる。
P 両親は恋愛結婚だった。戦時中サイパンに行った者は死んだ。母は子どもらをミシンの縫い物で育ててくれた。家にはいつも14、5歳の娘達が縫い物を習いに来ていた。小学校2、3年生の頃、その娘達にお医者さんごっこをされた。それが強烈な印象に残っていて、女性恐怖症気味が今でも抜けない。
Q 教育現場の今は、朝8時前に出勤し、夕方7時過ぎに帰宅する毎日で、疲れ切っている。性教育はしたくてもできない現場の状況で、ただただ疲れたオバサンになっている。