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思春期相談員・カウンセラー 佐藤 晴世 |
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| いのちを看取る
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ペットという家族の死 子どもが思春期を乗りこえるには、たくさんのひとの助けが必要です。親や教師・友人、それ以外に話を聞いてくれる大人がいることも大いにプラスになるでしょう。でも、思春期の孤独を癒してくれる人との出会いは現実的にはそう多くないと思います。
私は思春期の頃、そうした話し相手の代役をネコや犬がかなりの部分で負ってくれました。淋しさや辛さをどこにぶつけていいかわからない怒りに溢れるとき、いつもこの小さな友だちを抱きしめていました。「誰もわかってくれない」と孤独を深めているときでさえ、大きなまるい目が私を信じて愛してくれているように感じ「この子がいるから頑張ってみよう」と思いました。
そんなことを思い出したのも実はつい先日我が家の飼い猫が死んだからです。 突然、苦しそうに息をし始めて、背中をさすってやっているうちに息を引き取りました。 かかりつけの動物病院に行く準備も出来ない短い時間の出来事でした。 |
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| 息子は自分の孤独な時間を支えてもらうだけなく、この子と暮らすことで、弱いものへの思いやり、また誰かが困っているとき、どのような手助けが一番喜ばれるのか、自然に学んでいったように思います。 | |||
看取る―いのちの教育 今までも犬やネコや小鳥を看取りましたが、何回経験しても『死』になれることはできません。こうして死なれてみると、つくづく『いのち』に限りがあることに気づかされます。 私たちは『いのちの教育』といいながら、生活の中で実際には言葉でしか『いのち』を見せていないのが現実です。 泥の付いていない野菜・切り身のさかな・元の姿からかけはなれた鶏肉や牛肉など、「命をもらって生きているのよ」といっても、自分自身がそのことに感謝することさえ忘れがちです。人生80年の時代ですから、身近な人の死を体験することもほとんどありません。そういう意味で「いのち」って何だろうと深く考える機会があまりに少なくなってしまっています。 テレビでは連日、事故や事件に巻き込まれた方の死を報道しますが、その刺激的で強烈な報道は「いのち」をどこか軽々しく扱っているような気がしてなりません。 ペットを飼うことはそういう意味でも、まるごと「生きること」「死ぬこと」を見せてくれます。
次の朝、息子が一睡もせず、ずっとこのネコに付き添ってやっていたことを知りました。 長男はネコを可愛がっていた弟を気遣う電話をくれました。次男は「取りあえず今週帰る」とメールをくれました。それぞれが、つらい思いで過ごした一日でした。
動物を飼うことは住宅事情などかなわないこともありますが、ちいさな生き物を飼うことで、かけがえのない「いのち」を身近に感じ、また心のふれあい、ゆたかなコミュニケーションの相手にもなってくれます。 「いのちの教育」は私が子育てをする中で「性教育」の大きなテーマとしてきました。親子で、「いのち」や「うまれる」ことを何度も話しましたが、生きて「いのち」を見せてくれていたことをこのネコの死を通じて感じています。
我が家の小さな家族がいなくなって灯が消えたような日々です。 でも、あの小さなネコが私たち、特に息子達に残してくれた多くのかけがえのない想い出に「ありがとう。愛していたよ」と心の中で言葉をかける日々です。 |
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