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研究所相談員 ・カウンセラー 佐藤 晴世
 

(3)感覚を育てる 〜 遊びで育つ〜

 
  足の裏は探知機と前回書きましたが、 手のひらも同じです。

 私が幼い頃の冬、朝起きるとかじかむ手に水をすくい顔を洗いました。冷たいという感覚ではなく、痛いといった感覚です。水が凍って出ないときになって始めて、母が少しのお湯を洗面器に入れてくれた時のうれしさは今でも懐かしく思い出します。こんな些細なことがうれしいと感じる子ども時代でした。

 

 今の子どもたちにも、こんな体験をして欲しいと思ってもそれは無理ですね。でも、こういう辛さや、ささやかな喜びこそが人間にとって大切なのだと思います。

 

@皮膚の感覚を研ぎ澄ます

 

 ではどうするか?

 やはり水遊びや泥遊びによって皮膚の感覚を養うしかないと思います。泥遊び水遊びは遊びであって、実は子どもには試練を伴う労働なのです。

 

 先日、小学生の一団が冬の公園で砂場遊びをしていました。

 手がかじかむのか息を両手にハーハーと吹きかけながら、それでも水場から水を運んで泥をこね、山やトンネルや川を作っています。服には泥が飛び跳ねています。お尻は真っ黒に濡れています。白い靴下は、きっと洗っても元のように白くはならないでしょう。「この子たちが帰ってもお母さん、叱ったりしないでね」…思わずそう独り言をいいました。

 あなたの息子さんたちは今すごい体験をしていますよ。土や泥の固さや柔らかさ、もろさを手という触覚を使って調べ、固めたり掘ったり、なでつけたり、最後にはバケツの水を台風の濁流のように流したり…。決壊した土手をどのように掘ったり、積み上げたりするかを仲間と相談したり。これはもう道路工事の現場そのものです。

 ここではコミュニケーション能力も試されます。両手も両足もふさがっていますから、言葉だけが頼り。すごい労働力です。

 そしてこの寒さのなかで凍えるという貴重な体験も…手はもしかしたら、しもやけを起こしているかも…。長い時間のあと、子どもたちは日が陰ってから、凍える手を公園の水場で「冷てぇ〜!」といいながら、洗って帰って行きました。

 

 

A時間や空間を約束する
 

 現代は「我慢の出来ない子ども・切れやすい子ども」とか「家庭の子育て力が落ちた」とか、さまざまな言葉で子どもも親も非難されますが、これは文明病のようなもの。こうした豊かさの中で、どのように子どもたちに肉体的精神的な試練を、いかに楽しく体験させるかは、はやり知恵が必要です。

 それは、何も高いお金を払って民間の『サバイバル体験学習』と称した夏期合宿に参加させて離島で自炊生活をさせたり、体操教室で難易度の高い競技が出来るようにすることではなく、「明るい間は外で遊ぶ」ことや「一緒に遊べる友だち」を確保することです。

 高額の塾に行かせて、小さいうちから勉強できない人間は負け組になるという恐怖心を植え付けるよりも「生きているっておもしろい!」と感じられるような時間や空間を約束してあげる方がどんなに人生にとってプラスになるでしょう。

 

 昨年から日本政府は子どもたちの学力低下になんとか歯止めをかけて、世界一の学力を誇る国にするためのプロジェクトを立ち上げようとしているようですが、世間体のために良い高校・大学に進学させようとしている親と同じような胡散臭さを感じます。

 

 集中力をじゃまされずたくさん遊んだ子どもは、やりたいことが見つかった時に、それに向かって進むことができます。そのとき学力はついてくると私は思っています。

 勉強の出来る子どもに育てようと早期教育をしても、凶悪犯罪の加害者になったり、簡単に自殺してしまうような子どもになっては悲しすぎます。子どもの学力を心配するより、皮膚の感覚や感性を十分に鍛える遊びをさせてください。いっぱい自由に遊んだ子どもは、手のひらから足の裏から、からだ全部使って、人生に必要なことをいっぱい学んで、両親のもとに戻ってくるのです。

《体験から学ぶを読む》

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