熟年の性を考える

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                             研究員  岩淵 成子
 

連れ合いとは、どんな最後を迎えますか

 熟年ではまだ早いと言われそうな問題を提起します。

 私の研究会仲間から聞いた話です。
 彼女のお母さんが重い病気になり、入院したとき、彼女を含めた3人姉妹は、母親の一大事とばかり、それぞれの家庭状況もふまえてローテーションを決め、看護に当たったそうです。お父さんが居たけれど、大正の男でろくに看護などできないので、長女である彼女が中心になって、動かしていったのだそうです。

 いよいよ最後の時を迎えることになったとき、彼女たちは母親の周りに付き添い、悔いのないように気配りをして、臨終を迎えたとのことです。お父さんは、彼女たちの動きの邪魔にならないよう、病室から出ていたり、病室内の隅っこにたたずんでいる状況だったと話していました。
 
 最期を見取って何年も経ち、性教育を学んだ今になって、とんでもない大きな間違いをしたことに気づき、彼女はしきりに悔いているのです。
 特別仲が良かったわけではないが、喧嘩ばかりとか、家庭内離婚になっていたのではなく、ごく平凡な夫婦であった両親。
50年以上も、ともにくらしてきた夫婦が、最後の別れをするときになって、互いが正面から向き合うこともなく、枕辺に立つこともなく、手を握ることもしないで、別れてしまったことは、両親にとっては寂しいことだったのではないか。男である父は、何もできることがないので、自分たちが仕切ってしまったが、本当は母の手を握ったり、からだをさすったりしてやりたかったのではないか。母も父にしてもらいたかったのではないか。自分たちはよかれと思ってしたことが、本当は両親を隔ててしまっていたのではないか。
 彼女の後悔はここにあるのです。

 日本では、病院で最後の時を迎える病人のために、連れ合いが同衾するという話は聞きません。しかし、欧米では同衾を希望すれば、大きなベッドが用意されるそうです。
 死を迎える時に、最も親しい人に同衾してもらい、スキンシップをとってもらったら、死の不安や恐怖が薄らぎ、静かに穏やかに最後を迎えられるのではないでしょうか。
 日本にも、最後の時を病院で迎える患者のために、同衾できるベッドを備えた病院ができることを期待します。

 まだ、死の時を考えるには早いと感じておられる方々には、今のうちから「最後の時には、ぜひ二人にしてあげなくては」と周りが考えるほどに、互いの親密さをアピールしておくことをお勧めします。特に、男性は照れがあって、なかなか親密さをアピールしない傾向があります。アピールしないままでは、最後の時に妻の手も握らせてもらえない、妻の手も握れないままに、生を終わることになります。勇気をふるって、親密さをアピールする一歩を踏み出して頂きたいものです。

 

 
 

 

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