熟年の性を考える

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研究員  岩淵 成子
 
死に行く母に、好かれる担当医
 

 先日、参加した集会の会場で、知人とその友達との会話が、聞こえてきました。彼女は、死期の迫っている、96才の母親を看護するため、交代で病院に詰めています。
 今は、最後の時を迎える前の、最終の一時帰宅許可がおり、1週間か10日ほど在宅中の母の看護で、実家に帰っています。 

 彼女の話はおおむね以下のようでした。
 母が、回診の先生に「オネツ」になっちゃって、何かというと、手を握りたがるのよ。「先生の来たすぐ後には、血圧測定はしないでね。ドキドキして、血圧が上がってるから」なんて言うのよ。
 

 先生のどこが良いのか聞いたら、眉が太くて、きりりとした感じが良いんだって。「お父さんは、本当は好みじゃなかったんだ」と言うと、「そうなの。先生みたいのが好みだったのよ」と、あっけらかんと言うのよ。
 それで、この間は、先生に頼んじゃった。「先生。すみません。マスクを取って、母にお顔を見せてやっていただけませんか」って。そうしたら、先生も「良いですよ」って、すぐにマスクとって、「こんな顔です。どうぞよろしく」なんて言ってくれたのよ。顔を見た母は、ますます嬉しそうでね。回診を楽しみにしているのよ。

 直接、話には入りませんでしたが、思わず頬をゆるめて、聞いてしまいました。「胸がドキドキしちゃう」と言っている、96才のお母さんの顔が、浮かんでくるようでした。
 96才の高齢で、不治の病。それでもなお、「女」を生きている、素晴らしいお母さん。 「何言ってるのよ。いい年した病人が」などと言わずに、母の最後の願いを、叶えようと努力を惜しまぬ、ステキな娘。そして、協力を惜しまぬドクター。 死に行くその時まで、「命の火」として、性があることを、証明してくれたような、親子のあり方と、それを支援する医療現場の分かる話でした。

 前回、家庭介護についての、妻の負担を書きました。
 今回の方の場合は、病院に入院されていますから、介護とは言いながら、下の世話や入浴介助など、労力の必要な、しんどい介護はやらずにすんでいます。
 だから、お母さんの要求にも、ゆったりした気持ちで、応えてあげられた、という面があるのではないかと思います。
 

 毎日が、しんどい生活の連続では、ついつい余裕が無くなり、事務的に処理するような、介護になりがちです。「何をいい気なことを言ってるの。こっちは、それどころではないのよ」と、出てきた要求も、切り捨ててしまうことになりがちです。 自分が豊かに生きていないのに、人を豊かにすることは難しいでしょう。ただ、食事の世話や、下の世話をしているだけの毎日では、心がギスギスしてきます。

 介護する側も、豊かに生きられるには、どんな方策がベストなのか。熟年の我々にとって、今日的な課題だと思います。夫婦で、兄弟で、親子で、話し合いが必要ですね。

 

 

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