熟年の性を考える

bP5
 
研究員  岩淵 成子
 
「離婚の勧め」をするのではありませんが…
 

 1年前、「性と生研究会」発足間もないころ、「離婚を考えている」という女性が参加しました。北関東の田舎から、3時間くらいかけての参加に、ただならぬものを感じました。
 

 所長が準備された「離婚の14段階」(『円満離婚マニュアル』講談社)に基づいて、参加者が彼女だけだったこともあり、女3人互いの体験を出し合いながら、本音の論議を重ねました。
 

 彼女の話を要約すると、以下のようになります。
 もう結婚生活が続けられないことは、はっきりしている。夫とは、単なる同居人にすぎない生活が、何年も続いている。夫もそれは分かっているが、田舎だから近所の手前があり、離婚だけは避けたい。家政婦・看護婦としての妻の存在も、失いたくない。

 彼女の話から見えるのは、世間体と、自分の都合だけを考えている、典型的な日本の男の姿でした。 
 「離婚の14段階」のどこに自分がいるのかを、確認できた彼女は、「何とか行動を起こしてみます」と言って、帰っていきました。
 

 先日、1年ぶりくらいに「研究会」で、彼女と会いました。積極的で明るくなった彼女の姿に「どこまで進展したのかな」と期待していましたら、「今、弁護士さんのところから来たのです。財産分与を含めて、裁判所の裁定を取る準備を始めました」との報告に、びっくりしたり、喜んだりでした。当日の参加者全てが、祝福の言葉をかけました。

 ここまで読まれて、「性と生研究会」は、離婚を勧める会なんだ、などと思わないでください。
 結婚は、ふたりが幸せになるためにするものだという原点に立って、物事を考えているだけです。「生活のために結婚する」という現実も、確かにあります。

 研究会の参加者にも、そういう方がおられます。仕事もなく、子どもを抱え、食べていくための最後の手段として、結婚することは、男女の経済的格差の大きい現在の日本では、やむを得ないことで、否定することはできません。しかし、だからといって、妻とは、家政婦で看護婦で、時には娼婦でよいなどとは言えないでしょう。
 

 後を通られただけでも鳥肌が立ち、肌着は箸でつまんで、洗濯機に放り込むような関係のふたりが、ひとつ屋根の下でくらしていたら、病気になってしまいます。そうならないための最終的手段としての離婚は、認められるべきではないでしょうか。子どもが成人するまでという理由で、何十年も我慢してきた女性にとって、この先まだ20年、30年の我慢は、勘弁してほしいという言い分は、認められないでしょうか。離婚してめでたしめでたしではないけれど、結婚生活で不幸になっている人を、幸せにできたことを参加者は素直に喜んだしだいです。
 

 「離婚万歳」というのではありませんが、結婚生活のなかで苦しんできた彼女が、幸せな人生を歩むことになる、手助けができたことを、素直に喜びたいと思うのです。

 我々の研究会は「学問」のための研究会ではなく、実践を通して学び、学んで実践するための研究会です。
 離婚の問題について読者の皆さんはいかがお考えになりますか。

《bP6を読む》

 

ご相談・問い合わせ

info@seikyoken.org