熟年の性を考える

bP3
 
研究員  岩淵 成子
 
人生の冬も「格差社会」は続きますが・・・
 

 自治会の書記をやらされて4ヶ月がたち、恐れていた「訃報」が入りました。全ての班に訃報の回覧を回すため、60枚ほどの回覧数を印刷し、役員さんの自宅に届けるため、町内をあちこち回るのです。かなり面倒な作業です。
 

 当たり前のことですが、訃報はいつ入るか分かりません。今回は、「今夜は寅さんだ」と早めのシャワー後でしたから「寅さんが始まるまで」と、かなり焦って歩き周りました。結局、再度シャワーをあびねばならぬ羽目になりました。
 都会の町内会としては、少し古風なやり方ではないかと思っています。今回も、班長さん自身が「どんな方か分からないので、参列する気はない」と言ってらしたくらいで、向こう三軒両隣も、おつきあいが薄くなっている昨今、町内全体に連絡を回しても、葬儀の参加者が増えるとは思えません。そろそろ訃報はやめになったらいいと、密かに思っています。 

 しかし、自分の葬儀になったときのことを思うと、ちょっと寂しい気がします。
 現役であれば、職場関係での参列者も多いことでしょう。子どもと同居していれば、子どもの関係で、参列者があるでしょう。しかし、遠くに住んでいるとなれば、わざわざ親の家まで来てくれる人は、限られるでしょう。そうなると、家族と親戚、隣近所の方々くらいしか参列者はありません。
 

 死んだ本人は、どうせ分からないんだからと言えば、それまでですが、自宅で暮らせず「老人ホーム」で、お世話になるとしても、葬儀は、どこか離れた子どもの所でするのではなく、知っている人に送ってもらえる、自宅を望みたいとは思いませんか。

 今は、ただ同じ町内に住んでいるとか、隣に住んでいるとかだけでは、つながりが作れない時代のようです。何か共通の活動をするとか、同じ趣味を持っているとかでつながっていくようです。
 NO5で書きましたように、定年までは「仕事人間」で、地域と全く関わってこなかった私ですが、「このままでは、地域でひとりぼっちになる。孤独死も他人事ではない」と気づいて、「里山の会」や「朝の体操」を始めました。
 今では、町内のそこここで「知り合い」に会うようになり、時間があれば、おしゃべりを楽しめるようになりました。ブスッと下向いて歩き、用事だけをそそくさと済ませて、家に隠ってしまう生活にはない、張りを感じています。
 家の中がいちばん、夫婦で静かに暮らすのがベストだと、地域に出て行かないでいたら、寂しい葬式になりますよ。

 有料老人ホームに入るから地域は関係ない、と思っている方もおられるでしょう。確かにホームでは、至れり尽くせりの「お世話」はしてくれるでしょう。特に高級ホームなら、ホテルなみの生活です。しかし、どんなに快適な生活でも、訪ねる人が誰もいない生活は、寂しいものだと思いますよ。友人だけは、金では買えません。

 家の中だけに閉じこもらず、地域に友人を多く持つことは、何にもまして「冬の時代」への備えだと思いますが、読者の皆様はどうお考えになりますか。

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