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今月のコラム
“人間と性”教育研究所所長
高柳 美知子

(2005/8/8更新)

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私の《性(教育)》の原点

女は“不浄”の呪縛

  私の《生》の原点は、コラムNO.1「前事不忘 後事之師」でのべたように、子どものときの戦争体験です。

 毎日、毎時間、天皇制的国家主義を血脈一杯に注入され、そして敗戦。教師の指示のままに「教科書の墨ぬり」作業。正しいと教えられてきたことが、こうも簡単に抹消されることへの納得のいかなさが、胸底に澱となって沈んでいきました。“戦争っ子”の戦争責任とは、墨で塗りつぶした教科書を正しく書き直すことだと考えるようになりました。戦争放棄をかかげた憲法9条は、私の生きる原点になったのです。

 

 では、私の《性(性教育)》の原点はなにか。それは同じく戦争下の学校での乾布摩擦です。小学五、六年ともなれば、女の子の胸は膨らみ始めます。級友と比べて胸の発育の良かった私は、自分の意思とはかかわりなくせりあがってくる肉塊をただただ呪って立ちすくむばかり…。

 次なる汚辱は月経。当時の学校に性教育など望むべくもなく、母親からも聞けないまま、己の経血と向きあったときの驚きといったら!“バッチイ”と教えられていた性器から血を流す自分を受け入れることなど到底できません。

 この“汚辱”の呪縛を解く最初のきっかけは、アンネ・フランクとの出会いです。

ナチスのユダヤ人狩りを逃れての隠れ家生活。

 見つかれば強制収容所行きという極限の生活の中で、アンネはなぜ月経を「甘美な秘密」ととらえ、胸のふくらみをいとおしいと思えたのだろう。『アンネの日記』をくり返し読むなかで、私は二つのカギを見つけました。一つは、からだ(性)の科学的知識を身につけていたこと。もう一つは、自分の将来像をきちんと描いていたこと。私のようでなく、アンネのように素敵に「自分のからだ」と出会ってほしいーこれが私の性教育の原点です。