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今月のコラム
“人間と性”教育研究所所長
高柳 美知子

(2004/ 4 /22更新)
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語ること 抗うこと   

人間が人間として生きるために
  東京都教育委員会は、今春の卒業式・入学式の「君が代」斉唱で〈起立せず、 歌わず〉の姿勢を貫いた教職員の大量処分を発表。起立しなかった嘱託教員は契 約を打ち切られました。

1999 年の「国家・国旗法」の制定過程では、政府は「国民にその尊重を強制す るものではない」「学校で子どもたちに指導するが、押し付けるののではない」 と何回も繰り返していたのは記憶に新しいところです。これは、「日の丸・君が 代」の強制は、憲法の「思想・良心の自由」に抵触することを意識していたから にほかなりません。昨年来の「性教育」攻撃に続く、都教委の今回の暴挙は、憲 法はもとより、教育基本法の「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間 の育成」に反することは明らかです。「思想・良心の自由」を犯すこうした暴挙 に、不起立という行為で抗した教師は、その心情を次のように語っています。

( 4/16 号 NO.504 「週刊金曜日」より)  「自らが起立すれば、生徒も起立せざるを得なくなるだろう。それは、子ども たちを将来、戦場へと駆り立てる初めの一歩になるだろう。自分の生活のことと か、いろいろ悩みましたが、不起立をしたいま、良心に従って生きることの大切 さをあらためて思っています。(男性)」「教員は、子どもの権利を奪う者とし て、また、自らの権利も奪われる者として、ギリギリの所に立たされてる。身も 心も同一方向に向けさせられる恐ろしさ。パワーハラスメントに屈し、心を少しでも明け渡せば、私は私ではいられない。(女性)」

 これらの良心の声に聴き入りながら、私の脳裏には、北海道綴り方連盟事件を 描いた三浦綾子の小説『銃口』(小学館)の登場人物坂口先生が、特高警察の拷 問に絶えながら教え子に語った言葉が思い浮かんできました。

 「人間はいつでも人間でなければならない。獣になったり、卑怯者になったり してはならない。苦しくても人間として生きるんだぞ。人間としての良心を失わ ずに生きるんだぞ。どんな時にも絶望しちゃいけない。四方に逃げ道がなくても、天に向かっての一方だけは、常にひらかれている」

 北海道綴り方連盟事件というのは、 1941 (昭 16 )年1月、綴り方教育に熱心に

とりくむ教師たちの研究会が国家転覆をもくろむ共産主義者の集まりだとされ て、会員はもとより、研究会にたまたま1度だけ参加した者も含めて 50 〜 80 名の 教師が治安維持法違反の銃口を突き付けられて逮捕・監禁、退職を余儀なくされ た事件のことです。この事件のあと、一気に「大東亜戦争」へと突入していったように、性教育・ジェンダー攻撃、君が代・日の丸強制の先にあるのは、教育基 本法の改正と憲法9条の抹消であり、子ども達を“いつか来た道”に誘い込む策動にほかなりません。

 この日本の“今”を生きる私たち一人一人は、辺見庸流に言えば“この抗暴のときに”何を語るのか、何に抗うのか問われているといえましょう。いよいよ、 ますます、性根を据えて生きていかねばなりません。